辰己さんがWikiを授業に

辰己丈夫の研究雑報: 授業におけるWiKiの利用

私のWikiへの開眼はSSS2004(2004年8月28〜30日)のグループウェアとして辰己さんが竹田先生・プログラム委員会・小山先生(コメントで誤りを指摘していただきました。申し訳ありませんでした)がPukiWikiを用意してくださったことから始まる(PukiWikiそのものはそれより前から使っていた)。この事情はかつての私の日誌「いろいろ」2004-09-04にも書いた。この日,旧日本語TeX情報TeX Wikiに書き換える。2004-09-12では梅棹忠夫の京大型カードの発展形としてWikiを論じた。

2004-09-25以降は日誌をWikiに移した。この日,Linux Wiki情報教育Wikiも始めた。

2005年9月11日には日誌をこのDrupalに移したが,これはRSS feedやtrackbackを使ってみたかったからである(1日1ページのPukiWikiでは項目ごとのRSS feedができないし,trackbackもあまりうまくいかない)。なお,DrupalにもBookという共同執筆機能があり,Wiki風に使えるかもしれない。

旧Wiki2004-09-25日本のコンピュータの歴史もPukiWikiだと書いたが,その後サーバ不具合によりデータが消失したようで,Movable Typeで再出発した。字が小さく灰色になって読みづらくなったような気がする。

(追記)Wikiを実験したいならlivedoor Wikiがある。

あの WiKi を準備したの

あの WiKi を準備したのは僕ではないですー。SSSというより、SSSへの参加者と共通部分が大きいプロシンには「セッション中に chat をする」という文化がありまして、SSS2002頃からSSSでも同様のことをしていました。(SSS2005 では準備しませんでしたが。)で、毎度毎度掲示板とかchatというのもなーということで、WiKiになったのです。でも、「WiKiにしよう!」と提案したのは、少なくとも僕ではありません。

あれ,私です。

奥村先生,SSS2004のWikiは,プログラム委員会で相談して,長野高専の小山先生に設置してもらいました。当時のデータは,本学で保存していますが,公開していません。
SSS2004では,プログラム委員の査読取りまとめ,企画の相談は,ほとんどWiki上で行いました。

ちなみに私自身のWiki開眼は,2004新春のプログラミングシンポジウムでした。現在は,私自身のWebサイトと授業関連のほとんどをWikiで公開しています。

えーと、個人情報なの

えーと、個人情報なのかどうかわかりませんが、小山先生は、長野高専ではないです。
当時の所属を書くと、長野県工科短大の小山先生、長野高専の堀内先生です。

すみません m(_ _)m

すみません,私の記憶回路が混線していました。申し訳ありません。本文,直しました。

あわてて修正したので

あわてて修正したので再度・再々度修正してしまいました。ついでに9月2日を4日に修正しました。また,最初に書いたとき一部のU+007E (Tilde) がU+203E (Overline) になっていたのも修正しました。

こうしてすぐに修正で

こうしてすぐに修正できるのもWiKi/blogだからこそですねぇ。

トラックバックのティ

トラックバックのティーザは,本文を修正して再度送っても,修正されないのですね。

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