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『「情報」を学び直す』県立図書館で石井健一郎『「情報」を学び直す』(NTT出版,2007年)を見つけて借りてきた。この本では情報を,事前確率を事後確率に変化させるものとして説明している。要はシャノンの定義通りであるが,モンティ・ホール問題などとからませて,確率の考え方から丁寧に説明している。その過程で,火星に生物がいる確率といった主観的確率も認めるのが合理的であることを示している。 例えば,当たりが1本ある100本のくじを最初に引いて当たる確率は1/100である。では,次に(最初の人の結果を見ないで)別の人がさらに1本引いて外れだったとすれば,最初の人が当たる確率はどうなるか。第2の人が外れであるという情報が第1の人の当たりの確率を変えるはずであるが,1/100と答えてしまう学生が多いという。モンティ・ホール問題はこれと違って第2の人が答えを知っていてわざと外れのドアを開けるだけであるから,その結果は情報を持たず,最初に決めたドアが当たる確率は変わらない,というのがおおざっぱな説明である(この本にはもっと丁寧に書いてある)。
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モンティ・ホール問題への誤解
こんにちは
>その結果は情報を持たず,最初に決めたドアが当たる確率は変わらない,というのがおおざっぱな説明である
おおざっぱかどうかはともかく、
モンティ・ホール問題については
「その結果は情報を持たず,最初に決めたドアが当たる確率は変わらない」
という考えは、誤りですよ。
確かに、「何ら新しい情報を得ていない『のであれば』、当たる確率は変化しない。」というのは真実です。
事前確率を変更する理由が何もないからですね。
例えば、司会者が、開ける対象となる2つのドアをカーテンで隠して、「一方のドアを開けました。ヤギでした。」という場合です。
プレイヤーが選択していない2つのドアの内、「少なくとも1つ」がはずれであることは初めからわかっています。
だから、何ら新しい情報はなく、プレイヤーが当初選択したドアが当たる確率は、事前確率1/3のままです(もちろん、司会者が開けなかったドアが当たる確率は2/3になります)。
でも、モンティ・ホール問題は、そういう設定にはなっていませんね。
プレイヤーの目の前で、司会者は残り2つのドアのうち「特定の1つのドア」を開けて、それがはずれだとプレイヤーに見せているからです。
従って、それはプレイヤーにとって、先ほどとは異なる新しい情報です。
すると、事後確率を計算しなおす必要がありますね。
具体的な確率計算はウィキペディアをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C
Re: モンティ・ホール問題への誤解
どなたも突っ込みを入れられないので私から。
モンティ・ホール問題では,司会者がどちらのドアを開くかという情報は,ドアを選び直す場合だけ役に立ちます。元のドアが当たりの確率は変化しないのではないですか。実際,挙げていただいているウィキペディアのページの結果もそうなっています。
Re:Re:モンティ・ホール問題への誤解
>元のドアが当たりの確率は変化しないのではないですか。実際,挙げていただいているのページの結果もそうなっています。
ウィキペディアの「ルール変更のまとめ」をご覧下さい。
「プレイヤーが最初に選択したドアAが当たりの場合に、司会者がドアB,Cからはずれのドアをどの確率で選択するかがいかに重要であるか具体的に説明する。司会者がドアBを選択する確率をxとすると、ドアBが開いた(もちろん外れである)という条件のもとで、ドアAが当たりである確率はx/(1+x)となる(もちろん、ドアCが当たりである確率は1/(1+x)である。)。」
と書いてありますが。
この問題が誤解を招きやすいのは、x=1/2である場合は、偶然に(というより当然に)、当初選んだドアについて当たりとなる事後確率が事前確率と同じ1/3になってしまうという点です。
そのためか、モンティ・ホール問題に関する掲示板やブログで、「何ら新しい情報を得ていないので、当たる確率は変化しない。」という誤った解説をよく見かけます。もちろん、もう一つのドアがはずれのドアの分の確率をもらうので当たる確率が1/3+1/3=2/3になる、のような解説も正しくありません。
(カーテンで2つのドアを隠した場合であればその考えでよいですが。)
Re: Re:Re:モンティ・ホール問題への誤解
失礼しました。ずっと下のほうまで読んでいませんでした。つまり,例えばx=1の場合,司会者が回答者に「もしAのドアが当たりであなたがAのドアを選んだなら私は必ずBのドアを開けます」と宣言してからゲームを始める場合ということでしょうか。それなら,司会者の行動は情報を持ちますので,Aが当たる確率は当然変化しますよね。たぶん同じことを別の言葉でおっしゃっているだけのような気がします。
うーん
何度もすみません。
「もしAのドアが当たりであなたがAのドアを選んだなら私は必ずBのドアを開けます」と宣言してからゲームを始めた場合?
「宣言」とはなんでしょう?
司会者が従うルールによって、当たる確率が決まりますけど、「宣言」してしまうと・・・。
プレイヤーがAのドアを選んだ後、司会者がCのドアを開けた。
すると・・・Bのドアが100%当たり?
Re: うーん
いえ,Bのドアが当たりで回答者がAを選んだ場合も必ずCのドアを開けますので,司会者がCを開いたとしてもBが100%当たりではありません。
あのう
「はい,Bのドアが当たりで回答者がAを選んだ場合も必ずCのドアを開けますので,司会者がCを開いたときはBが100%当たりです。」
と書くつもりだったのですよね。
Re: あのう
すみませんm(__)m
ABCがごっちゃになってしまいました。
その場合はBが100%当たりです。
で,
で,何が言いたいかというと……
たとえ司会者が「回答者が当たりドアを選んだ場合は残りの二つのうち左のドアを必ず開くことにしよう」と心に決めていたとしても,そうでなくて「さいころを振って偶数なら左,奇数なら右を開くことにしよう」と心に決めていたとしても,回答者がそれを知らないなら,回答者にとっては同じことですよね。
一方で,どこが当たりかを知っている司会者にとっては,すでに回答を済ませた回答者が当たる確率は1または0しかありえません。
だから,確率というのは,情報によって変わるものだということでした。
でもウィキペディアは
モンティ・ホール問題の本質(3囚人問題)
>このオリジナルのモンティ・ホール問題については,たとえxの値を回答者が知っていたとしても,xのいかんにかかわらずドアを変更したほうが2倍得だという結論に影響はないのではないですか。
ベイズ解を信じていただくしかありません。
モンティ・ホール問題の各バリエーションの確率計算については、ここが詳しいですね。
http://shiozawa.net/fukuzatsukei/monti_hall.html
なお、モンティ・ホール問題の原型は3囚人問題ですが、日本で精力的に研究されています。
実に多くの著書、論説、学会発表がありますが、その一部を示します。
特に、市川らにより精力的に研究されています。
(でも、日本の研究成果は外国にはあまり伝わっていないようです。)
最後に挙げた「確率の理解を探る-3囚人問題とその周辺-」という単行本は、モンティホール問題の詳細な解説(種明かし)ともいえますので、是非一読をお奨めします。
Lindley,D.V.(1971) Making Decisions,John Wiley
繁枡算男(1985) 「ベイズ統計入門」,東京大学出版会
市川伸一・下条信輔(1986)「直感的推論における"主観的定理":"3囚人の問題"の解決過程の分析から」,日本認知科学会第3回大会発表論文集,14
繁枡算男(1987)「3囚人問題」の具体化について」,日本心理学会第51回大会発表論文集,337
井原二郎(1987)「「3囚人問題」に関する直感の数理モデル」,日本認知科学会第4回大会発表論文集,24-25
佐伯胖(1987)「「3囚人問題」に関する視点論的分析」,日本認知科学会第4回大会発表論文集,26-27
竹市博臣(1988)「3囚人問題の認知構造」,日本認知科学会第5回大会発表論文集,90-91
市川伸一(1988)「3囚人問題の解決と理解の過程をめぐって」,日本認知科学会編『認知科学の発展』,講談社,Vol.1,1-32
守一雄(1988)「「3囚人問題」はなぜ難しいか」,信州大学教育学部紀要,第62号,45-50
市川伸一(1989)「3囚人問題の困難性-抽象記述による解明-」日本認知科学会R&I研究分科会資料,No.88-2,pp.1-12
Ichikawa,S.(1989) The role of isomorphic schematic representation in the comprehension of counterintuitive Bayesian problems. Journal of Mathematical Behavior,8,269-281
伊東裕司(1991)「3囚人問題の解決における頻度モデルの役割」,日本認知科学会テクニカルレポート,No.19
市川伸一(1997),「確率の理解を探る-3囚人問題とその周辺-」共立出版
Re: モンティ・ホール問題の本質(3囚人問題)
たいへん詳しい文献一覧ありがとうございます。
とりあえず最初のリンクだけちらっと見てみました。
ベイジアンであるとないとを問わず,やっぱり何か変だなという気がしますが,今日はもう時間がないので,また時間ができたときに考えます。
すみませんが
> モンティ・ホール問題については
> 「その結果は情報を持たず,最初に決め
> たドアが当たる確率は変わらない」
> という考えは、誤りですよ。
すみませんが、ドアが当たる確率が変わるというのであれば、その値を具体的に提示していただく事はできないでしょうか?
コミュニケーションが円滑に進んでいないために無駄な時間が取られているように見えます。
私が疑問に思うこと
こんにちは。ZRです。
標準のモンティ・ホール問題についての
「司会者の行動は回答者に情報を与えない、ゆえに、最初に選んだドアが当たりである確率は変わらない(= 1/3 である)。」…(1)
という「説明」について、私が気になることを書いておきます(逆方向の説明「確率は結局 1/3 だから…」なら何の問題もないのですが)。
モンティ・ホール問題で、前提を標準のものから
「最初のドアが当たりの場合、司会者はある戦略で開けるドアを決めるが、それが何かは回答者は知らない。」…(2)
に変更します。
この場合も
「司会者の行動は回答者に情報を与えない」
という言明は(直感的には)正しいように思えます。しかし、回答者にとって「最初のドアが当たりの確率」は、少なくとも「普通の」確率の意味では「不明」となるでしょう。
そこで疑問に思うのは次のことです。
(a) (2) のモンティ・ホール問題において、「最初のドアが当たりの確率は 1/3」は(何らかの確率の定義の下で)正当化できるか?
(b) もし正当化できないとすれば、この場合 (1) の説明は失敗することになる。それならば、標準のモンティ・ホール問題で (1) の説明は通用しないのはないか?
奥村先生の 11-14 21:21 の投稿から推測すると、(a) の答えは「正当化できる」なのでしょうかね…?
Re: 私が疑問に思うこと
「情報がないから確率は変わらない」というhandwavingで納得できない場合,frequentistな証明もどきは,多分いろいろなところに載っている通りで,このゲームを何回もすると,司会者側がランダムに当たりの位置を決めているなら
○××
×○×
××○
が同じだけ起こり,対称性から回答者が最初選ぶのは左端だと仮定して一般性を失わないのでそうすると,最初の場合に司会者の戦略はいろいろありますが仮につねに左側を開けるとすると
○開×
×○開
×開○
となります。回答者は司会者のこの戦略を知っていても知らなくてもとにかく,ドアを変えなかったら3回に1回○,ドアを司会者が開けなかったほうに変えたら3回に2回○になります。つまりlong-runな頻度の割合は1/3と2/3。Bayesianな人はそもそも何回も試行を行うというところで反対されると思います。
私も疑問に思うこと
こんにちは
名無し改めeggmanです。
ドアが左からA-B-Cと並んでいるとします。
回答者は常に左端(ここではA)を選ぶことにするのですね。
そして、司会は常に残り二つのうち「原則として」左端Bを選ぶのですね。
(Bが当たりなら右端Cを選ぶしかないので。)
すると、以下のパターンがすべてになります。
1.当たりのドアがAのとき
→ 回答者はドアAを選んだ。司会は必ずBのドアを開ける。
2. 当たりのドアがBのとき
→ 回答者はドアAを選んだ。司会は必ずCのドアを開ける。
3. 当たりのドアがCのとき
→ 回答者はドアAを選んだ。司会は必ずBのドアを開ける。
とすると、ベイズ計算(というほどでもありませんが)により、
(a)プレイヤーがドアAを選んだときに司会がドアBを開けた。
→ドアAの当たる確率は1/2
(b)プレイヤーがドアAを選んだときに司会がドアCを開けた。
→ドアAの当たる確率はゼロ
となるように思います。
何か誤解がありましたらご指摘下さい。
Re: 私も疑問に思うこと
その通りです。ただ,オリジナルのモンティ・ホール問題では,回答者は司会者の(左好きという)癖を知らないのでこの情報は利用できません(利用できたとしても「ドアを選び直す」という結論は同じですが)。で,long-runな見方を許してもらえれば,司会者は同様な場合に3回に2回はBを開く,3回に1回はCを開くので,2/3*1/2+1/3*0=1/3で結局3回に1回はAが当たることになります。実は回答者が司会者の癖を知っていたとしても,つねにドアを選び直すのが最適な戦略(の一つ)で,この場合,3回に2回は勝つことができます。ということで合っているでしょうか。一気に書いたので細部でボロが出るかもしれません。
Re: 私が疑問に思うこと
以下は自分用メモです。
------
一般性を失うことなく、最初に選ぶドアをAとする。「回答者が『某』の戦略を選んだ場合に当たる確率」をP[某]と記す。すると
「標準MHと『Aが当たりの時の司会者の戦略』のみが異なるMH問題」…(3)
において常に
P[必ずAのまま]=P(Aが当たり)=1/3
P[必ず変える]=P(Aが外れ)=2/3 …(4)(「必ず」=「司会者の行動に関わらず」)
が成立する(司会者の戦略が無関係になるので)。
標準MH問題の場合、
P(Aが当たり|Bを開けた)=P(Aが当たり|Cを開けた)=P(Aが当たり) (=1/3) …(5)
であり、一方(2)のMH問題(司会者の戦略が未知)では
P(Aが当たり|Bを開けた)、P(Aが当たり|Cを開けた)は不明 …(6)
である。
ところが、一般の(3)のMH問題((2)も含まれる)で(4)が成立する以上、
「Bが開けられたら云々、Cが開けられたら云々」…(7)
という戦略について
P[(7)] = 1/3×P(Aのまま|(7)) + 2/3×P(変える|(7))
であり、つまりは
P[(7)] ≦ 2/3 = P[必ず変える]
すなわち「必ず変える」が最適戦略(の1つ)となる。
------
ここから本題です。
奥村先生の返信を読んで、一瞬(6)が誤りかと戸惑いましたが、よくよく考えてみたら P(Aが当たり)=1/3 のことでした。
「事後確率の計算は不要で、(4) なんだから変えた方がよい」(標準MHではBとCは対称なので(7)を考えようとはしない)というのがMH問題の明快な「説明」であり、実際よく紹介されていることは承知しています。
そうすると、(1)の説明が行われる時の『最初に選んだドアが当たりである確率』というのは P(Aが当たり|Bを開けた) 等ではなく P(Aが当たり) のことを指しているということでしょうか。これなら司会者の戦略が未知でも「ランダムでない既知」でもよく、結局(1)の説明は「明快な説明」と同義であると感じます。
しかし、やはり「司会者の行動は回答者に情報を与えない」の表現は事後確率を連想させます。私はずっと『最初に…』は事後確率を指すと思っていました。事後確率のことだとすると、やはり(6)は(1)の「反例」になるのでしょうか…?
Re: Re: 私が疑問に思うこと
仮に問題が「Aが当たりで回答者がAを選んだら司会者は必ずBを選ぶとする。いま司会者はBを選んだ。Aが当たりの確率は?」云々となっていればfrequentistにとってもおっしゃっているようになると思います。Bayesianな立場では,モンティ・ホール問題は「司会者の戦略がわからない以上,不定である」が正解なんでしょうか。
プログラム作って動かして試してみましょうか?
プログラム作って動かして試してみましょうか?
Re: プログラム作って動かして試してみましょうか?
シミュレーションですか? ぜひやってみてください。
ただシミュレーションで出るのはfrequentistな確率ですので,Bayesianな人に納得してもらえるのでしょうか。
「モンティホール
「モンティホール flash」で検索すると、こんなのがありました。
http://gascon.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/flash_c2ac.html
他にもネコのflashもあるみたいです。
http://ishi.blog2.fc2.com/blog-entry-182.html
ネコの方が有名なのかも。
私なりの結論
もう一度整理します。
大前提:標準MHと、Aが当たりの時の司会者の戦略のみを変更した「一般MH」のみを考える。
前提*:回答者の戦略は、事実上、『(必ず)変える』と『(必ず)Aのまま』しかない。
i) (明快な説明)「そもそも事後確率の計算は不要で、P[Aのまま]=P(Aが当たり)=1/3 だから『変える』のが最適。」
ii) (難解?な説明)「事後確率を計算する。P(Aが当たり|Bを開けた)=1/3 云々、だから『変える』のが最適。」(これは一般MHでは通用しない。)
iii) (不可解?な説明)「『司会者の行動は回答者に情報を与えない(★)』から『Aが当たりの確率』は1/3、『残りドアが当たりの確率』は2/3、だから『変える』のが最適。」
ここで問題なのは次のことでした。
・iii) の文言の中の『確率』は事前・事後のどちらを指すのか?
・(★)の正確な意味は何か? 自明なことと扱ってよいのか?
以下に自分の結論を述べておきます。
事前確率で「1つのドアの当たりの確率」が2/3になることはないので、iii) の中の確率はやはり事後確率です。ただし、条件の事象は、ii) で扱っているような「Bを開けた」「Cを開けた」ではなく、
「何らかのドアを開けた」
というものです。(以下この事象を「開」とし、「開けたドア」をX、「AでもXでもないドア」をYと記す。)
明らかに、P(開)=1 だから「開」の条件を入れても確率は変わらず、
P(Zが当たり)=P(Zが当たり|開)=1/3 (Z=A,B,C)
であり、ここから P(Yが当たり|開)=2/3 が容易に導かれます。以上が iii) の意図なのだと思います。つまりもう少し明確に書き換えると以下のようになるかと思います。
「(前提*)である。ゆえに『回答者は P(Aが当たり|開) と P(Yが当たり|開) だけに興味がある(◆)』ので『(★)』。前者は1/3、後者は2/3だから『変える』のが最適。」
要するに、一般MHの場合でも、(◆)を認めるなら(★)は「自明」として構わないということなのでしょう。(「開」は必ず起こるし、それ以上の情報は不必要なので敢えて捨てている。)
MH問題が論争になる要因の一つに、「不明確に提示された問題文で解釈の齟齬が起こることが多い」ことがあるのはご存知だと思います。iii) 式の「説明」に疑念をもつ人が多いのも実は同様の原因で、『司会者がドアを開けた後の確率』についての言葉の解釈(P(・|開)かP(・|Bを開けた)か)の齟齬が起こりやすいからではないかと想像します。
Re: 私なりの結論
最初に選んだドアが当たりか外れかという確率分布 (p,1-p) が変わればエントロピー -(p log p + (1-p) log (1-p)) も変わるからシャノン流に言えば情報が与えられた(あるいは失われた)ことになるという意味で,情報と確率分布の変化は対応しているという立場です。「司会者の行動は最初のドアの当たる確率を変化させない」ということと「司会者の行動は最初のドアが当たりかどうかについての情報を回答者に与えない」ということは同じことなので,ある意味トートロジーですが,間違いではないと思います。
ある確率が事前確率か事後確率かというのは絶対的な意味ではなく,何らかの情報に相対的なもので,それが与えられる前と後に対応して事前確率と事後確率があるということでいいでしょうか。この場合,司会者がドアを開いてそれが外れだったという「情報」の事前か事後かということですが,この「情報」は最初のドアAが当たりか外れかについての情報を持っていないので,事前確率も事後確率も等しいというのが私の考えです(もちろんB・Cが当たりか外れかについては情報を持ちます)。
そうは言っても神様なら司会者が例えば左を開く傾向があるということを知っているので事後確率は1/3ではないはずだとも言えますが,それを言うなら,神様ならどのドアが当たりかを最初から知っているので確率は0か1かしかないとも言えます。あくまでも確率は情報が欠如しているところにあるのではないでしょうか。
疑問再び
また参加します。
>この場合,司会者がドアを開いてそれが外れだったという「情報」の事前か事後かということですが,この「情報」は最初のドアAが当たりか外れかについての情報を持っていないので,事前確率も事後確率も等しいというのが私の考えです
そうしますと、「司会者がドアを開けようとしたら、偶然地震が起こって、回答者が選択していないドアがたまたま開いた。はずれだった。」
という場合も、「この「情報」は最初のドアAが当たりか外れかについての情報を持っていないので,事前確率も事後確率も等しい」
のでしょうか?
つまり、回答者の選択したドアが当たりである確率は依然として1/3ですか?
私には、1/2になったように思えるのですが。
Re: 疑問再び
これは当然1/2になります。ランダムにBかCかを開けた場合ですから,司会者が外れを開くことがわかっている元の問題とは異なります。
Re:Re: 疑問再び
>これは当然1/2になります。
そうですよね。
それはそうと、私の疑問は、
「司会者がBかCのうちはずれのドアを回答者の目の前で開けた。」
ことと、
「司会者が、BとCのドアをカーテンで隠して、BかCのうちはずれのドアを開けた。」
こととは、情報の有無が異なるのではないかという点です。
後者であれば、確かに
「この「情報」は最初のドアAが当たりか外れかについての情報を持っていない」
でしょうけど、
前者(MH問題そのもの)は、回答者に何らかの情報を与えています。
今まで全くわからなかったBかCのうち特定のドアがはずれとわかったのですから。
ただ、その情報だけでは、事後確率を明確に計算できるまでには至っていない。
もっとも、Aが当たりの場合に、BとCのいずれを選択するかの確率(司会者の戦略)が決まるか仮定すれば計算できる。
その確率が1/2であれば、事後確率は結果的に1/3となり事前確率と同じになる。
ということだと理解しているのですが。
(無限回試行による確率は別の話です。)
>
> もっとも、Aが当たりの場合に、BとCのいずれを選択するかの確率(司会者の戦略)が決まるか仮定すれば計算できる。
司会者の癖は司会者しか知らないでもいいのですか?
司会者は正解を知っていますので司会者にとっては確率は0か1しかないのでは?
司会者にとっての確率なのか,司会者の癖を知らない回答者にとっての確率なのか,司会者の癖だけ知っているけれど正解をしらないと仮定された人にとっての確率なのか,どれなのでしょう?
訂正
すみません。
過去、司会者の戦略というフレーズが出てきましたので引きずられてしまいました。
あくまで、回答者にとっての確率です。
司会者がどのようなルールで行動するのかを知った回答者が計算するというのが前提です。
逆に言えば、司会者が従うルールを知らないのでは計算できません。
司会者が(1/2の確率で)どちらかのドアを開ける事に関して
司会者が(1/2の確率で)どちらかのドアを開ける事に関して、それを「その結果は情報を持たず」「何ら新しい情報を得ていない」と言うのは、単に日本語の問題ですね。
「タモリはイケメンか」という問いに対して、イケメンだと思う人はそう表現すればいい。そう思わない人は違うと表現すればいい。それだけの意味しか無いと思う。
『Bのドアには良く見るとてんとう虫が付いている』という情報を得てもそれが役に立たないのであれば「何ら新しい情報を得ていない」と言ってしまってもいいけど、『てんとう虫が付いている』というのは情報でないわけではない。単に役に立たないというだけだ。
Re: 司会者が(1/2の確率で)どちらかのドアを開ける事に関して
「Aが当たりかどうかについて何ら情報を与えない」という意味なのですが。もちろん「Bが当たりかどうか」については情報を持ちます。
何ら情報を与えない?
司会者が1/2の確率でB,Cを選択すれば
ベイズ計算による事後確率は偶然(当然?)事前確率と一致しますが、
単にそのことをもって、「Aが当たりかどうかについて何ら情報を与えない」
と言い切っていいのかどうか疑問があります。
そもそも、MH問題では、司会者がB,Cを選択する確率については何ら示されていません。
司会者がB,Cを選択する確率が変化すれば、事後確率は0~1/2のいずれかに「変化」します。
(x=1/2のときだけは1/3と事前確率と同じになりますが。)
「新たな情報にもとづいて計算したが、結局、事後確率は事前確率と同じだった。」
ということと、
「Aが当たりかどうかについて何ら情報を与えないから事後確率は事前確率と同じなのだ。」
とは全く意味が異なると思います。
Re: 何ら情報を与えない?
> 司会者がB,Cを選択する確率が変化すれば、事後確率は0~1/2のいずれかに「変化」します。
> (x=1/2のときだけは1/3と事前確率と同じになりますが。)
これがそもそも間違っているのではないでしょうか。
Re:Re: 何ら情報を与えない?
>> 司会者がB,Cを選択する確率が変化すれば、事後確率は0~1/2のいずれかに「変化」します。
>> (x=1/2のときだけは1/3と事前確率と同じになりますが。)
>これがそもそも間違っているのではないでしょうか。
間違いだとすると、司会者がB,Cを選択する確率が変化した場合、事後確率はどうなるのが正しいのですか?
(無限回試行の話ではないですよね。)
唯一の「事後確率」といのがあるのですか? 2009-11-
唯一の「事後確率」といのがあるのですか?
2009-11-24 14:07 に書いたように,確率はどれだけ情報を持っている人が計算したかによって変わりませんか?
間違い?
司会者にとっての確率など意味がないですよね。
あくまで、回答者にとっての確率に意味があるので、
回答者が知っている情報に基づいて確率を計算するとどうなるのかです。
>確率はどれだけ情報を持っている人が計算したかによって変わりませんか?
当然ですね。
例えば、司会者がB、CのうちBを選択する確率について回答者が知らなければ、それをxとでも置いて計算するしかないと思うのですが。
その場合の計算結果(Aが当たりとなる事後確率)はx/(1+x)となるはずですが、間違ってますか?
投稿者:通行人 (未認証ユーザ)
投稿者:通行人 (未認証ユーザ) 投稿日時:2009-11-11 17:47
さんの書き込み
> モンティ・ホール問題については
> 「その結果は情報を持たず,最初に決めたドアが当たる確率は変わらない」
> という考えは、誤りですよ。
に関して討論しているあたりの事について言っています。
使えない情報を持っている事に関して、それを「情報を持っている」と言うか
「情報を持っていない」というかは日本語の問題でしかない。
ということです。
どうもだんだん混線してきました ^^;
すいません。m(__)m
で,ちょっと別のことを考えてみたのですが,Aが当たりで回答者がAを選んだとき,司会者がどういう確率でBとCを開けるかによって答えが変わってくるというのがBayesianな人の主張だとすれば,そういう隠れた変数(nuisance parameter)は積分し去らなければならないように思えます。その場合は重みとして何らかの事前確率分布を仮定しないといけませんが,そうすることでfrequentistと同じ結果が出るでしょうか。
もっと単純な場合を考えます。 「MHの番組でスタッフが最初
もっと単純な場合を考えます。
「MHの番組でスタッフが最初に当たりのドアを決めるが、ここで癖があって、Aを当たりにする確立が2/5となっている。ただし、回答者は当たりドアを決め方について『何も知らない』。この時、『回答者にとって』Aが当たりである確率は?」
私の理解が正しければ、各々の立場で次のようになります。
[ア]11月24日のeggmanさんの立場(?):2/5である。
[イ]11月15日の私の立場:スタッフの戦略によりAが当たりの確率は変化する。回答者が戦略を知らないのだから「不明」である。
[ウ]奥村先生の立場:『何も知らない』のだからAの確率が他と比べて多い・少ないといえる根拠はなく、従ってランダムの場合と同じで1/3である。
「かいもの」さんは「情報を与える」というのは結局定義のあやふやな概念だとしているようですが、そうすると、iii) のような説明は認められないということでしょうか?
おもしろくなってきました
だんだん立場の差が明確になってきて,おもしろくなってきました。
良く見たら、私だけずれた事を言っていますね。混乱させてすみ
良く見たら、私だけずれた事を言っていますね。混乱させてすみません。
上記設問に当てはめると、事前にスタッフに「どれかのドアが当たる確立は 2/5だよ」と教えてもらったんだけど、これって情報をもらったことになるの?となるでしょうか。
あくまでも
> モンティ・ホール問題については
> 「その結果は情報を持たず,最初に決めたドアが当たる確率は変わらない」
> という考えは、誤りですよ。
に対する返答です。
上記設問に対する私の考えは「ウ」です。
理由はOkamuraさんと同じです。
確率の計算
>[ア]11月24日のeggmanさんの立場(?):2/5である。
私はそんなことは言っておりません。
あくまで、条件付き確率は、その条件がわかって計算するものです。
B,Cの選択条件がわからなければxとでもおくしかありません。
わからないのだからx=1/2としていいという考えであれば、
たまたま(当然)、事後確率は、無限回試行時の確率と同じ1/3になります。
(無限回試行であれば、Aが当たりの場合に司会者がどんな基準でB,Cを選択しようが、Aが当たる確率は事前確率1/3に収束します。)
少し話題を変えます。というか皆さんの考え方をお聞きしたいので。
ここにインチキコインがあります。
表か裏の一方のみが出やすくなっています。
でもどちらが出やすいのかわかりません。
では、そのコインを投げて表の出る確率はいくらですか?
A説:わからない。
B説:1/2
理由:表と裏のどちらが出やすいのかわからない。だから1/2とするしかない。
C説:1/2以外(0と1の間)
理由:無限回試行すれば、大数の法則により、「表の出る回数/投げた回数」は、0から1までのある数字に収束する。これが求める確率である。しかし、1/2ではない。
わからない。というのもつまらない気がするので、インチキ度も
わからない。というのもつまらない気がするので、インチキ度も不明で無謀と想いますが・・・。
表、裏、どちらかの3つの選択肢にして、表が出る確率を1/3以上というのはいかがでしょう?