形容詞+です

名古屋出張帰りに本屋で買ってきた本に「……すればよいです」のような書き方が頻出し,気になる。若い人は気にならないのだろうか。ググったら昭和27年の第1期国語審議会建議「これからの敬語」の「7 形容詞と「です」」に

これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。

とあることがわかった(私は昭和26年生まれ)。

「美しいです」が気になる私でも「美しいですね」は気にならないのは不思議だ。

私はら抜き言葉の方が気になります。

放送大学学生(ひろ)です。
私は昭和31年生まれですが、「です」はあまり気になりません。(生まれも育ちもほぼ埼玉県です。それも外れの方)。
それより、件名にあるように「ら抜き言葉」の方がきになります。
某ニュース番組で流れるクジラのCMでも音楽や言葉はきれいなのですが
「見れるよね」と歌詞が流れると聞かなきゃ良かったと思います。
言葉の変遷にはNHKがデータを集めているらしく、教育テレビで流している5分番組「ナットク日本語塾」で言葉の使われ方を分かりやすく解説していますのでぜひ見てください。年代別の言葉の使われ方の違いや、地域による使い方のデータを見せられると、親子でおまえはどっちだと言う話にもなります。

追伸、「あたなの名前」を変更する方法はあるのでしょうか。放送大学学生(ひろ)で登録できなかったのですが、2度名乗るのは不便なので。昔の名前で出たい。それと、以前のように読者から投稿できる様にして下さるとありがたいのですが。Javaの本ももう少し早く聞きたかったのですが。
技評が正規の代金払う人なら当面PDFを認めてくれるとありがたいのですが。書店で見た時は、Javaは避けていたものですから。気になった本を書いた詰めていたら、床が傾くぞと妻に脅されたものですから。

名前の変更

「ユーザ名に不正な文字が含まれています」と出てしまいますね。全角でうまくいっている人もいるので,括弧が駄目なんでしょうか。ソースを見てみます。

> それと、以前のように読者から投稿できる様にして下さるとありがたいのですが。

これってどういう意味でしょうか。

(追記)

あ,コメントではなくブログ記事をだれでも書けるようにするという意味ですね。昔は設定を間違えてそのようになっていたのですが,確かいつぞやセキュリティ面でひやっとすることがあったので見直したのでした。コメントはどこにつけていただいてもかまいませんのでとりあえずこのままでお許しください。

昭和41年生まれ

私もひろさんと同じような感覚です。「あまり」気にならない,ということは少しは気になるということで,文法を気にすると少し口ごもることがあります。
「ら抜き」は気にならない地域や年齢もあるということなので,できるだけ気にしないようにしよう(心の平穏のために)と思ってはいるのですが,書き文字で見るとだめです。なんだか内容までアレなんじゃないかという気がしてしまいます。

書き言葉と話し言葉

「美しいです。」と書いてあると気になっても話し言葉なら気にならないですし,「美しいですね。」であれば,たとえ書かれたものでも話し言葉になるので,気にならないのだろうと思います。「ら抜き」のほうも同様です。NHKテレビのインタビューも,本人が「ら抜き」でしゃべっていて気にならなくても,字幕のほうは「ら」を補って書いているようです。

いろいろ抜いてみたら…

この際いろいろ抜いてみたら面白いかも。「たぬき言葉」
は過去形の「た」を抜くわけですよ。わかっかな。

「ですか」

初めて書き込みます。

昭和51年の関西生まれですが、若干違和感を覚えつつも使います。パブリック度の高い文書には使いませんが。国語審議会の「これまで久しく問題となっていた」という問題意識は不明ですが、「~は美しい」に対応する「です・ます」語を「美しいです」以外にどう言えば良いかよく分からん、ということはあると思います。避けようと思うと「美しいですね」を使うか「美しいと思います」のように複雑になってしまう。

下段の問題に関して、感覚的には「美しいです」は「美しい-です」と分けられるのに対し、「美しいですね」は「美しい-です-ね」ではなく、「美しい-ですね」と分けられるという感じで、「です」と「ですね」は異なる形態素と認識している気がします。

「美しいですか」はまだ違和感は小さく、関西弁的に「美しいですやろ」としてみると、相当の違和感を覚えます。

美しいの丁寧表現

「美しい」の丁寧表現としては、ウ音便を使って「美しゅうございます」という言い方があります。
しかし、おおげさで死語のような表現なので、便宜的に「美しいです」とせざるを得ないのかなあ、と思います。

駅の放送で「危ないですから白線の内側へ」と言うのを毎日聞いていると、だんだん慣れてしまうものですね。「危険ですから」と言ってくれた方が良いと思います。

日本語って難しいですね。

「難しいです」も該当するのかな?
同じようなものでも、気になる言葉、気にならない言葉と別れるのが不思議です。
また、最近無理に丁寧な(感じのするような)表現をする傾向が強いと感じます。
「危ないですから」も「危ないので」というよりは丁寧そうな感じで。
ファミレス等で「おたばこお吸いになられますか?」も、丁寧の押し売り状態で気になります。

でも、結局そういう環境で育ったり、散々耳にするうちに気にならない(というより、それが正しい)ようになるんでしょうね。
自分では出来うる限りで正しく使おうと心掛けているつもりですが、言葉は生もの、生き物なので、進化したり退化したり、腐ったりするものだと自分を納得させるようにしています。

それでもグルメ番組等で「肉汁」を「にくじる」と読むのが我慢できません(苦笑)

白線の内側はどっち?

「白線の内側」と言えばどちらなんでしょうか。島式(ホームの両側に線路があるタイプの)ホームでは左右に白線があるので確かに白線の手前が内側のような気がします。
しかし、対面式のホームでは、反対のホームにも白線があり、線路側が内側に見えます。実際、内側に下がって電車と接触した例もあるそうです。
「白線の手前に下がって」と表現したほうが適切ではないでしょうか。
こう言う日本語は、以前議論になったローマ字+わかち書にすると疑問点が浮かび上がる事があります。
「Hakusen no uchigawa」日本語では「白線の内側」という単語に学習させられて(gripenさんのおっしゃる通り慣れでしょう)疑問に思いませんが、「Hakusen no uchigawa」と書くと、白線に内側があるのか?定義はどうなっているのかと考えてしまいます。
ただ、答えはかつてはやった「地下鉄漫才」と大差はなく。どうでも良い事なのでしょうが。

白線の内側

たとえば三重県の内側といえば、三重県という領域があって、その中ですよね。同じように考えると、白線の幅が20cmで長さが210m とすれば、その 20cm×210m の部分が内側です。

〜〜〜〜〜というのは冗談です〜〜〜〜〜〜

多くの人に「白線は面積がなく、領域を区切るものである」という暗黙の前提があるので、「白線の内側」という言葉がでてくるんでしょうね。そして、内側=人がいる方というのも暗黙の前提で、だから、内側とは電車がいない方でいいんです。

ちなみに「山手線の内側」と言われても、地球は球面なので、数学的に考えると「東京タワーがある方」と「羽田空港がある方」のどっちが内側かわからないので、ここは社会常識的な定義に合わせるのが正しい。面積が小さい方と考えるのが普通ですね。(もちろん、外回りと内回りの線路の間という回答もありますが、やはり冗談としてしか通用しない。)

余談:「赤道の内側」という言葉を無理矢理作り、「それは北半球か南半球のどちらを指すのか、理由を付して述べよ」という問題をだしてみると、回答者の地球観とかがわかっておもしろいかも知れません。

分からない人がいる

分からない人がいるからなのか(まさか),最近は「ホームの内側に」と案内するところも出てきました。

ら抜き言葉

「ら抜き言葉」は好き嫌いはともかく間違いではないですよ。

五段活用動詞で「歩かれる」などを可能の意味で用いている例もありますよ。こちらは「ら入り言葉」とでも呼びますか。

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