ある方からのタレコミ。小4のお子さんが学校で長方形の面積を横×縦で計算したら減点された。学校に問い合わせたら,担任にも教務主任にも縦×横が正解と言われたとのこと。横×縦でも同じになることを自分で見つけたならば褒めるべきところを減点するようでは,創造性を伸ばすなというようなもの。
答案用紙に斜めに置いた長方形だといくら辺の長さがきちんと書いてあっても小4の能力だと計算できないわけですね。これを計算したら先生に叱られる~。子供の応用力の低下が心配されていますが、教師の応用力はすでに末期的ですかね。
その小学校の先生は算数・数学嫌いで、横×縦でも同じ結果になることを理解できなかった。
(1)「暗記せよ」という問題だったということはありえませんか? もし、暗記力を向上させたいという意図での指導なら、別に問題ありません。そして、単純暗記の能力の低さを是正したいと思っている教員や塾の講師は結構います。 (2)それに、教育上、どこをほめるべきかという議論は、教える側とその客体との関係性によるものだと思いますし、一概に言えるものではないと思いますがいかがですか? (3)いずれにせよ、指導法が間違っていると断定するには、情報が少なすぎませんか? 少なくともこのエントリに含まれる情報は。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301g.htm
の[4学年]「2 内容」「B 量と測定」には「ウ 正方形及び長方形の面積の求め方を考え,それらを用いること。」しかかかれてないんだけど。で,どっちが縦で,どっちが横と教えるんだろう?縦と横は相対的なものでしょう?
筆算の手順も作法にのっとっていないと間違い(どんな作法だったかすら忘れた)にされた子どももいたし。
新井紀子先生の「行き抜くための数学入門」をそのお子さんに将来読んでもらって,小学校の先生は嘘つきだと「あとで」笑ってもらうことにしましょう。
わたしも,小学校時代は先生にいじめられたので,良い思い出はありません。「宇宙の中心は太陽系だ」「香港は島ではない(小学生の地図だと赤丸が大きくて香港島が消える)」という担任と大喧嘩しました。 というわけで,小学校は基本的にすきではありません。でもカミサンや,仲の良いお友達に小学校の先生が多いのはなんでだろう!(^^)!
指導要領(?)でも「長方形の面積は縦×横でなければならない」としているんでしょうかねえ…。
Wikipediaを調べてみたら、長方形の図が斜めでおもしろかった。面積は長さ×幅になっていました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%96%B9%E5%BD%A2
自身が小学生の頃、(2+3)*4 これを 2*4 + 3*4で解いて、減点を喰らったことがありましたが、当時受験組だったやつらと喧嘩腰で説得の末、もとに戻してもらった事がありました。
何か間違った教育が成されている気がしてならない。
私も同様の話を同僚から聞いたことがあります.友人の小学校教諭から『三角形の面積は底辺×高さ÷2,高さ×底辺÷2のどちらであるべきか』と真顔で問われたそうです. 詳しく話を聞いてみると,どうも,単にその先生が算数数学が嫌いだとか苦手だとかわかっていないとか,暗記中心主義の弊害とかいう話ではなく,算数教育の世界に不可解な教育哲学が蔓延しているようなのです.1個50円のりんごを2個買うときの値段は50×2か2×50かという類の問題に関して,掛け算の順序に意味を持たせるべきだという思想があるそうで(そのこと自体の是非はここでは不問),その延長で面積の計算にも掛け算の順序に意味を見出すべきという哲学が生まれたようです. もちろん同僚は呆れて「『面積』を考える時点で積の可換性は当然前提にしている,だから積の順序にこだわるのは無意味」と答えたそうです.
僕が「小学校の先生は算数・数学が嫌いで、積の可換性を理解できなかった」と推定したのは冗談ではなくて、あり得ると思って書いたんです…。
だって、小学校教員の養成課程では、算数の指導方法ももちろん取り扱われますが、そこは「子どもの注意を引き、子どもに関心をもってもらうための指導方法」であって、正しく教えることではないんですよね。
そこを正しく教えてもらえるようにして頂くには、真っ当な意味での研修が必要だと思いますが、そういう研修ってやってないだろうなぁと思ったりするわけです。
もっとも、どこかの国には進化論を教えることを禁止した市があるくらいですから、こういう問題は日本だけのことではないんだろうと思います。
念のため,件の同僚の論点は,小学校の先生が積の可換性を知っているかどうか(その論点が冗談でなく意味を持つことは承知しますが)ではなく,数学法則としての積の可換性は広く認識されているという前提で,数学的に等価であるべき積の順序に数学以外の特殊な価値観を持ち込んで意味を与えて順序を固定する,しかもその価値観を「長さ×長さ」という同次元の量の積にまで及ぼそうとするという,小学校算数教育の世界に蔓延する不思議な「民間伝承」についてです.
もちろん,奇妙な民間伝承が生まれる下地として,小学校教員が教科の専門性を深く学んでいない,まっとうな研修も行われていないという問題があるのでしょう.
学校で習うことに疑いを持つことから学びがはじまるんです。正しいことばかり教えられたら面白くない。(笑)
小学校と言えば、国語にも不信があります。 時間の反対語は空間だとか、 公転の反対語は自転だとか、、、
件の小4のお子さんには、積の可換性を深く考えるチャンスになりましたね。
tssさんのおっしゃる通りかなぁ。学校の先生が間違ったことを教えると、それに気がついた生徒が本当の意味で学ぶのかも。
でも、そんなのが続いていいのかなぁ。可能な限りは義務教育としての質を維持して欲しいと思ったりします。
はい。御意の通りだと思います。個人的には教科の専門性がちゃんと伝わっていれば、奇妙な民間伝承は死滅すると思いますが、仮定はなかなか成立しないですよね。
血液型とか星座占い(性格診断)を信じていたり、信じているかのような発言をする教員だって少なくないです。それで傷付く生徒もいるでしょう。
x軸方向の積分として教えるべきという考え方なのでしょうか。 それにしても減点はあんまりですね。
私の小学校時代の教師は、人と違う解法を見つけた子は積極的に褒めるようにしていました。もしかすると自分は恵まれていたのかと今にして思います。
何らかの形での評価って実は評価される側が評価する側を評価する機会でもあるわけで、ちゃんとそのお子さんが「だから人間は不可解だ」(笑)とでも教師を評価出来ればそれはそれでよかったんじゃないかなぁ? 少なくとも「教師の言うことは正しい」なんて迷信を信じなくてすむきっかけにはなるわけだし。ある意味人生経験的にはプラスになるかも…って逆に人間不信になったらそれはそれで困るか…
そういえば中学生の頃、音楽の試験でブリテンの青少年のための管弦楽入門の曲名を書く問題があって、そう書いて×になったのを思い出した。音楽の先生曰く「教科書には青少年の管弦楽入門と書いてあるので間違い」。まあ相手にするだけの価値もない先生だったのでそれまででしたが。
三角形の面積を、底辺×高さではなく、 高さ×底辺と書いたら駄目だとか。
私が小学生の時の担任も、しばしば誤りを口にする先生でしたが、そのたびに、それは誤りだと指摘して、納得されなかったら説得できるだけの資料を自力で集めて抗議したものです。 今思えば、そうやって何が正しいかを自分で調べていくという経験が学力につながった気もいたします。
とはいえ、この先生方のレベルの低さは危機的だと思いますが。
是非、子供と先生の間で話し合って欲しい問題ですね。
30代後半で4歳の子持ち、そろそろ小学校教育にも関心を持たなきゃいけない身としては、あまり嬉しくないけど貴重な現場の話ですね。
それにしても、「積の可換性」って自分が小学生の時には九九を暗誦している内に何となく察しがついていたものでしたが、今の小学校は違うのでしょうか。
近所の小学生にも話を聞いてみたいです。
ちょっと、信じ難いです。何かの間違いでは? 担任だけでなく教務主任にも否定された点を含めて。
本当はそうなんだけど、授業の範囲じゃないから減点ってのは 中学の社会で食らいました。
婚姻は男子18歳で、女子16歳までは保護者の許可がいるので、 そう言う解答をしたら「今は憲法の授業だから両性の合意のみが正解」 と言われました。
F=maじゃなくてma=Fだ!と主張する人もいますしね。
全国的に「そう教えている」ようですよ. OKWAVEなんかのQ&Aサイトにも時々でています.
一個100円のお菓子を10個買いました. 代金は何円でしょうか 100 * 10 = 1000円・・・正解 10 * 100 = 1000円・・・不正解 ということのようです.
これは 「単位当たりの値」かける「個数」 で「全体の値」 というのが金科玉条になっていて, 順番が大事なんだそうですw
面積でもこんなんじゃあ,理科や数学のレベルが下がるのが納得できますね.
上でboisewebさんが書いておられる「1個50円のりんごを2個買うときの値段は50×2か2×50か」ですね。日本語なら50円が2個というほうが確かに自然ですが,英語ならtwice fiftyが自然なので逆なんでしょうか?
一個a円のお菓子10個を10aと書いたら不正解なんですかね(笑)。
高校生の時元素記号Siのことを「ケイ素」と書かずに「シリコン」と書いたら 不正解にされましたのを思い出しました。あまり関係ないですが。
敬愛していた(今も敬愛している)駿台の坂間先生が、21年前に「イコールは、意味がある。左辺に右辺を代入するということだ。だから ma=F は間違い。」とおっしゃっていました。
たしかに Fは直接測れないが、m, a は直接測れますよね。Fはそういう意味で抽象量でした。
>左辺に右辺を代入するということだ だからFortranの書式がそうなったんだ。 で,Basicやらはそれを引き継いだ,と。
>英語ならtwice fiftyが自然なので逆なんでしょうか? まさにその通りの順番で書かれた式を昔見て驚いた記憶があるのですが, 実のところどちらでも良いようです。探してみたらこんなまとめも。 以下のコメントの67-69あたりです。 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1183478389...
E=mc^2は代入なんですかね。
数学に置ける環論において、一般的にはかけ算は順番に意味があります。つまり a×b と b×a は等しいとは限りません。 私は小学生に面積の求めかたを教えるときに「縦×横」として、教えていました。 整数や有理数においてかけ算の可換性がなりたつことも考えれば、横×縦で、間違いにするのも問題がありますが、最初に教えるときに「縦×横」を提示することには意味があると考えています。
実際,中学生に文字式を教えるときに各項は定数を前に置くのが原則だという話をすると,順番を替えることに抵抗があるという生徒が相当数いるらしいです。
まだ習ってない漢字は自分の名前を書くときにさえ使ってはいけないみたいなバカな規制をするから,「習ったかどうか」が「正しいかどうか」より優先されてしまうのだとも思います。
割り算まで含めて,単位を考えて, 100[個]÷10[人]=10[個] 10[個]×100[人]=1000[個] という意味で教えているのかも知れませんね。
でも,面積演算は 4[m]×6[m]=24[m^2] 6[m]×4[m]=24[m^2] でどちらでもよいと思うのですが…
個人的には数学的に正しい手法(交換法則や分配法則を使って)で答えが出ていれば良いと思いますね。
なぜ縦が先(被乗数)じゃないといけないのか、が知りたいです。 うちの娘は長い方が横と習ったと言ってたりするし、、、 ちんぷんかんぷん。
25年も前の話で現代の問題とは直結しませんが、 妹が、高校の歴史の授業で、 教科書に載っている「竪穴式住居跡」の写真を見て、教師に、 「雨が降ったらどうなるのですか」と素朴な質問をしたそうです。 すると歴史の教師は、 「我慢してたのかな」と答えたそうです。
答えはもちろん、 『竪穴式住居跡は「跡」であって、 当時はその上に屋根がかけられていたから、雨でも大丈夫』 なのですが。
思考停止あるいは何も疑問をいだかないくだんの教師より、 それを尋ねてみた妹をほめてあげたいと思います。
模範解答の束縛も問題ですが、 自分の教えていることを理解していない教師は、 生徒の模範になりません。 ちなみに、くだんの算数の解答について、 文部科学省の『学習指導要領』では、 小学3年の算数で「乗算の交換法則」を扱うことになっています。
『(4) 内容の「A数と計算」の(3)のウについては,交換法則,結合法則や分配法則を取り扱うものとする。』 (http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301g.htm)
なのに、それを実際に応用すると、誤回答とされてしまうのですね。
とか「縦縦横横…」という絵描き歌とかからして,日本語としては縦横のほうが座りが良いので,教科書には「縦×横」と書くというところまではわかるんですが,子どもが「横×縦でも同じだ」と気づいてそちらで計算した場合,「教えない方法を使った」として褒めるか罰するかで,その社会が思考力を伸ばそうとしているか殺そうとしているかが分かれ,長い目ではPISAの点数に響いてくるのかもしれません。
そのタレコミは「式の作成」と推測しますが・・・
決して「教師の凋落」とも言い切れないようです。
我が子の算数テストを見ると・・・ 縦()cm×横()cm=答え()平方センチメートル と書いてありました。
これですと、「横×縦」は誤りです。 指導するにあたって「曖昧」を排除するあまり、このような記述になるようですが・・・ たいていの親御さんは「どっちでも良いでしょうに」と思われるようですが、指導する側としては「縦×横と教えたのだから、縦×横と回答して欲しい」でしょうし、応用については児童の個人差が大きく出てしまうのであまり大々的にやりたくない先生が多いとも聞きます。
#事なかれ主義は変わらず・・・
大半の先生方は情熱を持って指導されているのですが、ごく一部の親・先生が以下自粛。
>「教えない方法を使った」として褒めるか罰するかで
真偽は不明ですが,湯川秀樹が数学者になるか物理学者になるか悩んだとき「教えてない」けども「正しい方法」を不正解にした数学教師がいたから,数学者にはならなかったとかいう話を聞いたことがあります.
知り合いの中学教師が行ってたのですが,学校を管轄するとある省が何か言ったり,やったりするたびに事態は悪化するだそうです(-_-;
「マイクロモンスターペアレント」と「アサヒり」の複合技と言えるのでしょうか。
むかし定年間近の歴史教師が「教科書の自分の読んだところに線をひかせ、線をひいたところを繋げて一つの文として教える」という授業をしていました。黒板は一切つかいません。
あるページの冒頭と最後だけに線を引き途中の文はすべて省略した結果、教科書に書いてることとは正反対の意味になってしまい、教師による直後の説明でも正反対だったため正反対なのはなぜか聞いたところ「これでいい、これが正しい」と理由さえ教えてもらえなかった経験があります。
教科書にも間違いはあるんでしょうけど理由さえ説明せず、他の教師も年配教師には指摘できないという風潮があったようです (違う件で、他の教師が「なぜあの先生に指摘しないのか」と大勢の生徒から詰め寄られ渋々指摘できないと答えていました)。
担任と教務主任は,(一般的に児童に教えている)公式自体を憶えているか?ということを採点したのかったのだろう,と想像します.長方形の縦(横)なんて,紙をぐるぐると回せばかわるじゃないですか.そこのとろこは,多分わかっていると思うんだけどなぁ.
と,今朝,出勤印を押しながら算数主任と話をしました.
> 「イコールは、意味がある。左辺に右辺を代入するということだ。だから ma=F は間違い。」
それは等価演算子と代入演算子をごっちゃにしてるなぁ。 公式の場合は「=」は等価演算子と見るべきだと思うけど。 公式というのは左辺と右辺が等価であることを示すものでしょ?
すみません,よく理解できていません. 坂間先生の哲学に従うと,ばね力による単振動の運動方程式を, ma=kx と書いてはいけない??? F=ma F=kx と連立させれば OK???
黒板に縦10cm横5cmの長方形は書けますが、考えようによっては机の上では書けません。 地面に対してどちらの辺も横(水平)になるからです(^_^;) そこで賢い生徒は考えました。 下敷きを縦にしてそこに用紙を当てて書いたのです。 そもそも面積をabで公式化するときに縦横で訳すからおかしいのでは。 それを杓子定規に解答に当てはめる教育も問題だと思います。 針金で図形を作ってスペースシャトルでプカプカ浮かせて宇宙授業なんてやってほしいですね。
> 割り算まで含めて,単位を考えて, > 100[個]÷10[人]=10[個] > 10[個]×100[人]=1000[個] 本当にちゃんと単位を「あたり量」として考えているなら 100[個] ÷ 10[人] = 10[個/人] 10[個/人] × 100[人] = 1000[個] ですから, これでも掛け算の順番に意味はありませんよね.
割り算のほうは順番を入れ替えられないばかりか, 「等分除」だの「包含除」だのと余計な薀蓄をたくさん考え付くので, それが他の加減乗にも伝染するんでしょうか.
Wikipedia日本語版で実際にあった話ですが, もともと除法の項目だけが立っていて, 加減乗は項目が無かったのです. 一時は演算などのほかの項目へリダイレクトされていましたが, そのことに不満を持っていたらしい教育系項目に加筆している参加者が, 「どういう内容にしたらいいか(専門知識が無くて)わからないが, 除法の項目は順序だてて内容がたくさん盛り込まれているのだから, 同様にできるはずだ」と臆面も無く言っていました. 加減乗除それぞれに歴史や論理があってそれらの持つ価値や意味は必ずしも対等に並ぶものではないだろうことは想像に難くないですが, 不平等に扱われることを変に嫌う思想がどこかにあるのでしょうか. 現在は加減乗除それぞれの記事が立てられています. もちろん中身は除法含めてスカスカですが.
そうです。最初に現象から式を作るときは、 F=ma F=-kx です。(バネなので、マイナスがつく)一度立式してしまえば「後は数学に任せればよろしい」ので、 ma=-kx a=-kx/m なども許されます。でも、最初に書く式ではない。
じゃないんですか?
昔からの友人から直接聞いたことですので信頼できる話として紹介させていただきました。
ご教示ありがとうございます(マイナスを付け忘れたのははずかしい). 意図は理解できました.
むかし読んだ湯川秀樹の『旅人』(だったと思います)のなかで、数学の試験の話がありました。彼はその問題の証明のやり方を忘れてしまっていて、試験中に自分で考えたそうです。その箇所は0点にされていました。担当の教師に問い合わせた所、「君の証明は確かに正しいが、私が(授業で)やった通りにやっていないので0点だ」という趣旨の回答だったそうです。これが元で数学が厭になったようなことも書いていたと思います。
十何年前に読んだきりで、現物が手許にないため心許ないですが。
円周率は約3と習ったあと、もっと多くの桁を答案に書くと間違いになるのでしょうか。
困ったものですよね。 いわゆる「ゆとり教育」の弊害で国力が根底から低下してる気がします。
円周率が約3ならば円は大体6角形ってことなのか。 それとも空間の曲率が1じゃないっていうことなのか。 古くは宗時代に円周率の分数近似値 355/113 が得られてるというのに。
斜めに置いた長方形
答案用紙に斜めに置いた長方形だといくら辺の長さがきちんと書いてあっても小4の能力だと計算できないわけですね。これを計算したら先生に叱られる~。子供の応用力の低下が心配されていますが、教師の応用力はすでに末期的ですかね。
推定
その小学校の先生は算数・数学嫌いで、横×縦でも同じ結果になることを理解できなかった。
3つの疑問
(1)「暗記せよ」という問題だったということはありえませんか? もし、暗記力を向上させたいという意図での指導なら、別に問題ありません。そして、単純暗記の能力の低さを是正したいと思っている教員や塾の講師は結構います。
(2)それに、教育上、どこをほめるべきかという議論は、教える側とその客体との関係性によるものだと思いますし、一概に言えるものではないと思いますがいかがですか?
(3)いずれにせよ、指導法が間違っていると断定するには、情報が少なすぎませんか? 少なくともこのエントリに含まれる情報は。
学習指導要領では
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301g.htm
の[4学年]「2 内容」「B 量と測定」には「ウ 正方形及び長方形の面積の求め方を考え,それらを用いること。」しかかかれてないんだけど。で,どっちが縦で,どっちが横と教えるんだろう?縦と横は相対的なものでしょう?
筆算の手順も作法にのっとっていないと間違い(どんな作法だったかすら忘れた)にされた子どももいたし。
新井紀子先生の「行き抜くための数学入門」をそのお子さんに将来読んでもらって,小学校の先生は嘘つきだと「あとで」笑ってもらうことにしましょう。
わたしも,小学校時代は先生にいじめられたので,良い思い出はありません。「宇宙の中心は太陽系だ」「香港は島ではない(小学生の地図だと赤丸が大きくて香港島が消える)」という担任と大喧嘩しました。
というわけで,小学校は基本的にすきではありません。でもカミサンや,仲の良いお友達に小学校の先生が多いのはなんでだろう!(^^)!
指導要領(?)では?
指導要領(?)でも「長方形の面積は縦×横でなければならない」としているんでしょうかねえ…。
Wikipediaを調べてみたら、長方形の図が斜めでおもしろかった。面積は長さ×幅になっていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%96%B9%E5%BD%A2
自身が小学生の頃、(2
自身が小学生の頃、(2+3)*4 これを 2*4 + 3*4で解いて、減点を喰らったことがありましたが、当時受験組だったやつらと喧嘩腰で説得の末、もとに戻してもらった事がありました。
何か間違った教育が成されている気がしてならない。
算数教育の不思議な哲学
私も同様の話を同僚から聞いたことがあります.友人の小学校教諭から『三角形の面積は底辺×高さ÷2,高さ×底辺÷2のどちらであるべきか』と真顔で問われたそうです.
詳しく話を聞いてみると,どうも,単にその先生が算数数学が嫌いだとか苦手だとかわかっていないとか,暗記中心主義の弊害とかいう話ではなく,算数教育の世界に不可解な教育哲学が蔓延しているようなのです.1個50円のりんごを2個買うときの値段は50×2か2×50かという類の問題に関して,掛け算の順序に意味を持たせるべきだという思想があるそうで(そのこと自体の是非はここでは不問),その延長で面積の計算にも掛け算の順序に意味を見出すべきという哲学が生まれたようです.
もちろん同僚は呆れて「『面積』を考える時点で積の可換性は当然前提にしている,だから積の順序にこだわるのは無意味」と答えたそうです.
小学校の先生に教科の専門性は不要
僕が「小学校の先生は算数・数学が嫌いで、積の可換性を理解できなかった」と推定したのは冗談ではなくて、あり得ると思って書いたんです…。
だって、小学校教員の養成課程では、算数の指導方法ももちろん取り扱われますが、そこは「子どもの注意を引き、子どもに関心をもってもらうための指導方法」であって、正しく教えることではないんですよね。
そこを正しく教えてもらえるようにして頂くには、真っ当な意味での研修が必要だと思いますが、そういう研修ってやってないだろうなぁと思ったりするわけです。
もっとも、どこかの国には進化論を教えることを禁止した市があるくらいですから、こういう問題は日本だけのことではないんだろうと思います。
民間伝承
念のため,件の同僚の論点は,小学校の先生が積の可換性を知っているかどうか(その論点が冗談でなく意味を持つことは承知しますが)ではなく,数学法則としての積の可換性は広く認識されているという前提で,数学的に等価であるべき積の順序に数学以外の特殊な価値観を持ち込んで意味を与えて順序を固定する,しかもその価値観を「長さ×長さ」という同次元の量の積にまで及ぼそうとするという,小学校算数教育の世界に蔓延する不思議な「民間伝承」についてです.
もちろん,奇妙な民間伝承が生まれる下地として,小学校教員が教科の専門性を深く学んでいない,まっとうな研修も行われていないという問題があるのでしょう.
いいんじゃないですか?
学校で習うことに疑いを持つことから学びがはじまるんです。正しいことばかり教えられたら面白くない。(笑)
小学校と言えば、国語にも不信があります。
時間の反対語は空間だとか、
公転の反対語は自転だとか、、、
そうかー 納得しつつ
件の小4のお子さんには、積の可換性を深く考えるチャンスになりましたね。
tssさんのおっしゃる通りかなぁ。学校の先生が間違ったことを教えると、それに気がついた生徒が本当の意味で学ぶのかも。
でも、そんなのが続いていいのかなぁ。可能な限りは義務教育としての質を維持して欲しいと思ったりします。
奇妙な民間伝承
はい。御意の通りだと思います。個人的には教科の専門性がちゃんと伝わっていれば、奇妙な民間伝承は死滅すると思いますが、仮定はなかなか成立しないですよね。
血液型とか星座占い(性格診断)を信じていたり、信じているかのような発言をする教員だって少なくないです。それで傷付く生徒もいるでしょう。
x軸方向の積分として
x軸方向の積分として教えるべきという考え方なのでしょうか。
それにしても減点はあんまりですね。
私の小学校時代の教師は、人と違う解法を見つけた子は積極的に褒めるようにしていました。もしかすると自分は恵まれていたのかと今にして思います。
学校(テスト)に限った話じゃないけど
何らかの形での評価って実は評価される側が評価する側を評価する機会でもあるわけで、ちゃんとそのお子さんが「だから人間は不可解だ」(笑)とでも教師を評価出来ればそれはそれでよかったんじゃないかなぁ? 少なくとも「教師の言うことは正しい」なんて迷信を信じなくてすむきっかけにはなるわけだし。ある意味人生経験的にはプラスになるかも…って逆に人間不信になったらそれはそれで困るか…
そういえば中学生の頃、音楽の試験でブリテンの青少年のための管弦楽入門の曲名を書く問題があって、そう書いて×になったのを思い出した。音楽の先生曰く「教科書には青少年の管弦楽入門と書いてあるので間違い」。まあ相手にするだけの価値もない先生だったのでそれまででしたが。
5年生でも
三角形の面積を、底辺×高さではなく、
高さ×底辺と書いたら駄目だとか。
先生の誤りを指摘して生徒は伸びる
私が小学生の時の担任も、しばしば誤りを口にする先生でしたが、そのたびに、それは誤りだと指摘して、納得されなかったら説得できるだけの資料を自力で集めて抗議したものです。
今思えば、そうやって何が正しいかを自分で調べていくという経験が学力につながった気もいたします。
とはいえ、この先生方のレベルの低さは危機的だと思いますが。
学校に問い合せ
是非、子供と先生の間で話し合って欲しい問題ですね。
30代後半で4歳の子持
30代後半で4歳の子持ち、そろそろ小学校教育にも関心を持たなきゃいけない身としては、あまり嬉しくないけど貴重な現場の話ですね。
それにしても、「積の可換性」って自分が小学生の時には九九を暗誦している内に何となく察しがついていたものでしたが、今の小学校は違うのでしょうか。
近所の小学生にも話を聞いてみたいです。
信じられない
ちょっと、信じ難いです。何かの間違いでは?
担任だけでなく教務主任にも否定された点を含めて。
算数じゃなくて社会ですけど
本当はそうなんだけど、授業の範囲じゃないから減点ってのは
中学の社会で食らいました。
婚姻は男子18歳で、女子16歳までは保護者の許可がいるので、
そう言う解答をしたら「今は憲法の授業だから両性の合意のみが正解」
と言われました。
大学でも
F=maじゃなくてma=Fだ!と主張する人もいますしね。
全国的に「そう教え
全国的に「そう教えている」ようですよ.
OKWAVEなんかのQ&Aサイトにも時々でています.
一個100円のお菓子を10個買いました.
代金は何円でしょうか
100 * 10 = 1000円・・・正解
10 * 100 = 1000円・・・不正解
ということのようです.
これは
「単位当たりの値」かける「個数」
で「全体の値」
というのが金科玉条になっていて,
順番が大事なんだそうですw
面積でもこんなんじゃあ,理科や数学のレベルが下がるのが納得できますね.
次元が違う場合
上でboisewebさんが書いておられる「1個50円のりんごを2個買うときの値段は50×2か2×50か」ですね。日本語なら50円が2個というほうが確かに自然ですが,英語ならtwice fiftyが自然なので逆なんでしょうか?
一個a円のお菓子を10個
一個a円のお菓子10個を10aと書いたら不正解なんですかね(笑)。
高校生の時元素記号Siのことを「ケイ素」と書かずに「シリコン」と書いたら
不正解にされましたのを思い出しました。あまり関係ないですが。
物理だと
敬愛していた(今も敬愛している)駿台の坂間先生が、21年前に「イコールは、意味がある。左辺に右辺を代入するということだ。だから ma=F は間違い。」とおっしゃっていました。
たしかに Fは直接測れないが、m, a は直接測れますよね。Fはそういう意味で抽象量でした。
左辺に右辺を代入
>左辺に右辺を代入するということだ
だからFortranの書式がそうなったんだ。
で,Basicやらはそれを引き継いだ,と。
他言語圏での書き順
>英語ならtwice fiftyが自然なので逆なんでしょうか?
まさにその通りの順番で書かれた式を昔見て驚いた記憶があるのですが,
実のところどちらでも良いようです。探してみたらこんなまとめも。
以下のコメントの67-69あたりです。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1183478389...
代入すると爆発
E=mc^2は代入なんですかね。
数学に置ける環論に
数学に置ける環論において、一般的にはかけ算は順番に意味があります。つまり a×b と b×a は等しいとは限りません。
私は小学生に面積の求めかたを教えるときに「縦×横」として、教えていました。
整数や有理数においてかけ算の可換性がなりたつことも考えれば、横×縦で、間違いにするのも問題がありますが、最初に教えるときに「縦×横」を提示することには意味があると考えています。
実際,中学生に文字
実際,中学生に文字式を教えるときに各項は定数を前に置くのが原則だという話をすると,順番を替えることに抵抗があるという生徒が相当数いるらしいです。
まだ習ってない漢字は自分の名前を書くときにさえ使ってはいけないみたいなバカな規制をするから,「習ったかどうか」が「正しいかどうか」より優先されてしまうのだとも思います。
単位を考えて
割り算まで含めて,単位を考えて,
100[個]÷10[人]=10[個]
10[個]×100[人]=1000[個]
という意味で教えているのかも知れませんね。
でも,面積演算は
4[m]×6[m]=24[m^2]
6[m]×4[m]=24[m^2]
でどちらでもよいと思うのですが…
個人的には数学的に正しい手法(交換法則や分配法則を使って)で答えが出ていれば良いと思いますね。
交換則の問題なの?
なぜ縦が先(被乗数)じゃないといけないのか、が知りたいです。
うちの娘は長い方が横と習ったと言ってたりするし、、、
ちんぷんかんぷん。
竪穴式住居のなぞ:学習指導要領では
25年も前の話で現代の問題とは直結しませんが、
妹が、高校の歴史の授業で、
教科書に載っている「竪穴式住居跡」の写真を見て、教師に、
「雨が降ったらどうなるのですか」と素朴な質問をしたそうです。
すると歴史の教師は、
「我慢してたのかな」と答えたそうです。
答えはもちろん、
『竪穴式住居跡は「跡」であって、
当時はその上に屋根がかけられていたから、雨でも大丈夫』
なのですが。
思考停止あるいは何も疑問をいだかないくだんの教師より、
それを尋ねてみた妹をほめてあげたいと思います。
模範解答の束縛も問題ですが、
自分の教えていることを理解していない教師は、
生徒の模範になりません。
ちなみに、くだんの算数の解答について、
文部科学省の『学習指導要領』では、
小学3年の算数で「乗算の交換法則」を扱うことになっています。
『(4) 内容の「A数と計算」の(3)のウについては,交換法則,結合法則や分配法則を取り扱うものとする。』
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301g.htm)
なのに、それを実際に応用すると、誤回答とされてしまうのですね。
縦横無尽
とか「縦縦横横…」という絵描き歌とかからして,日本語としては縦横のほうが座りが良いので,教科書には「縦×横」と書くというところまではわかるんですが,子どもが「横×縦でも同じだ」と気づいてそちらで計算した場合,「教えない方法を使った」として褒めるか罰するかで,その社会が思考力を伸ばそうとしているか殺そうとしているかが分かれ,長い目ではPISAの点数に響いてくるのかもしれません。
全国的なことはわかりませんが
そのタレコミは「式の作成」と推測しますが・・・
決して「教師の凋落」とも言い切れないようです。
我が子の算数テストを見ると・・・
縦()cm×横()cm=答え()平方センチメートル
と書いてありました。
これですと、「横×縦」は誤りです。
指導するにあたって「曖昧」を排除するあまり、このような記述になるようですが・・・
たいていの親御さんは「どっちでも良いでしょうに」と思われるようですが、指導する側としては「縦×横と教えたのだから、縦×横と回答して欲しい」でしょうし、応用については児童の個人差が大きく出てしまうのであまり大々的にやりたくない先生が多いとも聞きます。
#事なかれ主義は変わらず・・・
大半の先生方は情熱を持って指導されているのですが、ごく一部の親・先生が以下自粛。
>「教えない方法を使
>「教えない方法を使った」として褒めるか罰するかで
真偽は不明ですが,湯川秀樹が数学者になるか物理学者になるか悩んだとき「教えてない」けども「正しい方法」を不正解にした数学教師がいたから,数学者にはならなかったとかいう話を聞いたことがあります.
知り合いの中学教師が行ってたのですが,学校を管轄するとある省が何か言ったり,やったりするたびに事態は悪化するだそうです(-_-;
上の想像が正しければ…
「マイクロモンスターペアレント」と「アサヒり」の複合技と言えるのでしょうか。
むかし定年間近の歴
むかし定年間近の歴史教師が「教科書の自分の読んだところに線をひかせ、線をひいたところを繋げて一つの文として教える」という授業をしていました。黒板は一切つかいません。
あるページの冒頭と最後だけに線を引き途中の文はすべて省略した結果、教科書に書いてることとは正反対の意味になってしまい、教師による直後の説明でも正反対だったため正反対なのはなぜか聞いたところ「これでいい、これが正しい」と理由さえ教えてもらえなかった経験があります。
教科書にも間違いはあるんでしょうけど理由さえ説明せず、他の教師も年配教師には指摘できないという風潮があったようです (違う件で、他の教師が「なぜあの先生に指摘しないのか」と大勢の生徒から詰め寄られ渋々指摘できないと答えていました)。
現場の人ですが
担任と教務主任は,(一般的に児童に教えている)公式自体を憶えているか?ということを採点したのかったのだろう,と想像します.長方形の縦(横)なんて,紙をぐるぐると回せばかわるじゃないですか.そこのとろこは,多分わかっていると思うんだけどなぁ.
と,今朝,出勤印を押しながら算数主任と話をしました.
>
> 「イコールは、意味がある。左辺に右辺を代入するということだ。だから ma=F は間違い。」
それは等価演算子と代入演算子をごっちゃにしてるなぁ。
公式の場合は「=」は等価演算子と見るべきだと思うけど。
公式というのは左辺と右辺が等価であることを示すものでしょ?
坂間先生の哲学
すみません,よく理解できていません.
坂間先生の哲学に従うと,ばね力による単振動の運動方程式を,
ma=kx
と書いてはいけない???
F=ma
F=kx
と連立させれば OK???
横×横
黒板に縦10cm横5cmの長方形は書けますが、考えようによっては机の上では書けません。
地面に対してどちらの辺も横(水平)になるからです(^_^;)
そこで賢い生徒は考えました。
下敷きを縦にしてそこに用紙を当てて書いたのです。
そもそも面積をabで公式化するときに縦横で訳すからおかしいのでは。
それを杓子定規に解答に当てはめる教育も問題だと思います。
針金で図形を作ってスペースシャトルでプカプカ浮かせて宇宙授業なんてやってほしいですね。
単位を考えるなら
> 割り算まで含めて,単位を考えて,
> 100[個]÷10[人]=10[個]
> 10[個]×100[人]=1000[個]
本当にちゃんと単位を「あたり量」として考えているなら
100[個] ÷ 10[人] = 10[個/人]
10[個/人] × 100[人] = 1000[個]
ですから, これでも掛け算の順番に意味はありませんよね.
割り算のほうは順番を入れ替えられないばかりか, 「等分除」だの「包含除」だのと余計な薀蓄をたくさん考え付くので, それが他の加減乗にも伝染するんでしょうか.
Wikipedia日本語版で実際にあった話ですが, もともと除法の項目だけが立っていて, 加減乗は項目が無かったのです. 一時は演算などのほかの項目へリダイレクトされていましたが, そのことに不満を持っていたらしい教育系項目に加筆している参加者が, 「どういう内容にしたらいいか(専門知識が無くて)わからないが, 除法の項目は順序だてて内容がたくさん盛り込まれているのだから, 同様にできるはずだ」と臆面も無く言っていました. 加減乗除それぞれに歴史や論理があってそれらの持つ価値や意味は必ずしも対等に並ぶものではないだろうことは想像に難くないですが, 不平等に扱われることを変に嫌う思想がどこかにあるのでしょうか. 現在は加減乗除それぞれの記事が立てられています. もちろん中身は除法含めてスカスカですが.
Re: 坂間先生の哲学
そうです。最初に現象から式を作るときは、
F=ma
F=-kx
です。(バネなので、マイナスがつく)一度立式してしまえば「後は数学に任せればよろしい」ので、
ma=-kx
a=-kx/m
なども許されます。でも、最初に書く式ではない。
ただのネタ
じゃないんですか?
Re: ただのネタ
昔からの友人から直接聞いたことですので信頼できる話として紹介させていただきました。
Re: 坂間先生の哲学
ご教示ありがとうございます(マイナスを付け忘れたのははずかしい).
意図は理解できました.
幾何学の証明問題で
むかし読んだ湯川秀樹の『旅人』(だったと思います)のなかで、数学の試験の話がありました。彼はその問題の証明のやり方を忘れてしまっていて、試験中に自分で考えたそうです。その箇所は0点にされていました。担当の教師に問い合わせた所、「君の証明は確かに正しいが、私が(授業で)やった通りにやっていないので0点だ」という趣旨の回答だったそうです。これが元で数学が厭になったようなことも書いていたと思います。
十何年前に読んだきりで、現物が手許にないため心許ないですが。
円周率は約3と習った
円周率は約3と習ったあと、もっと多くの桁を答案に書くと間違いになるのでしょうか。
円周率は3よりちょっと大きい
困ったものですよね。
いわゆる「ゆとり教育」の弊害で国力が根底から低下してる気がします。
円周率が約3ならば円は大体6角形ってことなのか。
それとも空間の曲率が1じゃないっていうことなのか。
古くは宗時代に円周率の分数近似値 355/113 が得られてるというのに。