日本の選挙とWebと若者

要旨:日本の選挙は1950年代のままだ。ネット解禁を望むはずの20代の95%はWebを使えるが選挙に行くのは1/3。「YouTubeのようなカジュアルなところに政治家が出てきたら変」と大学生,「政治はシリアスなもので若者がかかわるべきじゃない」。若者がこんなこと言う国は珍しい。

 60年安保や70年安保

 60年安保や70年安保の記録を見ると、当時から、奥村先生御指摘のようなことを若者が言っていた国だったのだろうか?と思います。

 その意味では、中曽根臨教審に始まる戦後教育の見直しの隠れた目的が、政治的な若者の排除であり、その成果が現在のような若者だという極論にも一理あると思います。

一億総白痴化

いわゆる一億総白痴化(by大宅壮一)政策、あるいは従順なサラリーマン大量生産政策、あるいは「支配されたがる人々」を生産する安心のファシズム(by斎藤貴男)の成果ってところでしょうか。すでに若者だけの問題じゃなくなってると思います。
(註:一億総白痴化はもともとテレビの影響を指すが...)

なんとなくネット利用解禁?

参院選:自、民、公、公示後もHP更新 候補者の写真避け(毎日)。実際,大昔の公職選挙法でネット利用を禁じているわけではない

スタートラインを意識させない

90年前後の高校生の頃は、政治活動に関わりたくてうずうずしていたんですが、学則上禁止されていたので困りました。
大学生になってからは、「宗教と政治は勘弁してくれ」と言う'70安保でロックアウト経験を持つ(当時京大にいた)教授に心酔していたので止めました。
学生時代に参政権を持ちましたけど、気が付けば技術系社会人。政治活動しているような時間もないです。技術者志望を諦めれば、アジテータとして生活できたのかも……と云うのが心残りと言えば心残りです。
ま、金と声のでかさを併せ持つ老人の方しか見ていないと言う政治のイメージがある間は、若者は投票すらしないでしょう。私は既に若者では無いので、諦めたおっさんとして投票だけは済ませましたが。

日本の学生は……

ちょうど1年前のSlashdotの話ですが,また話題になっているようです。特にこのあたり,大学の先生の心の琴線に触れるものが……

学則で禁止?

 どうも私の印象ですと、学則で禁止される政治活動というのは、反対の反対は賛成ではなくて反対なのだ、という(不真面目に聞こえたらすみません)感じであり、個人的にも「そういう物からは距離を置いた方が良いよ」とアドバイスしたくなります。この段階で私は国家に飼い馴らされているのかも知れません。
 三重県に引っ越して来て驚いたのは、暴走車両と街宣車の多さです。この土地には国家権力に抗うホットな人達が多いのか、と、迷惑千万ながらも興味を持ったのですが、街宣車が「ウルトラマンメドレー」を大音響で流しながら近所をウロウロし続けた日に、やはり買い被り過ぎだったと確信しました。
#問題は若者だけではない、ということです。ちなみにWebとは何も関係の無い話でスミマセン。

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