名前: ZR 日時: 2007-08-22 14:20:04 IPアドレス: 59.140.98.*
>>49182 pTeX の互換性をどこまで維持すべきかに関して、私が現時点で思っていること を、事実誤認や根拠薄弱の危険を期して述べたいと思います。 upTeX は「内部 Unicode 処理の TeX」の 1 つだといえると思いますが、Omega/ Aleph/luaTeX および XeTeX と見比べて、少なくとも前知識なしにこの 3 つを 眺めたところでは、upTeX の仕様は解り難くまた中途半端にすら見えることで しょう。他者の CJK 処理能力の着実な向上を目の前にして、果たして upTeX の アプローチに存在意義を見出せるのかどうか。 しかし upTeX は一点で大きな強みを持っていると信じます。 他者は pTeX の「代用・継承先」になりえないが、 upTeX はなりえる # いや、(散見の限りでは) luaTeX は相当大きな柔軟性を有しているので、 # luaTeX の枠組で pTeX/upTeX を「実装」するアプローチも将来見えてくる # ものと推測します。ただそれは、luaTeX が今後そのロードマップを着実に # 進み続けることが前提で、しかも先の未来という感じがします。 XeTeX が pTeX 並の和文の組版能力を備える日が来たとしましょう(luaTeX の 「先の未来」より前)。しかし、現状の延長線を想像する限りでは、XeTeX の 和文処理は「半分マクロベース」であり、pTeX の処理方式とは随分異なるもの になると想像されます(どちらが優れているかは措いて)。 ゆえに、XeTeX は pTeX のマクロ資産を引き継げません。結果として、XeTeX に 乗り換えられない pTeX ユーザ(多分 pTeX の機能を使い込んでいる人なので しょう)が出てきます。これらの人は JIS X 0208 外の文字の扱いに不自由して もいいのか。私はそこに upTeX の存在意義を見いだせると考えています。upTeX は pTeX の方法論(マクロ資産も含めて)を引き継げるので、pTeX の方法論に 深く依存した者も含めて pTeX ユーザ全体が Unicode の世界に移行させること ができるということです。 # 勿論これは「過去の pTeX 文書の組版が再現できる」ことを求めている訳では # ありません。pTeX の結果を欲するならば pTeX を使うべきであり、この点は # (指摘された通り) LaTeX2e/2.09 の関係と同じです。重要なのはマクロ資産を # 含めた「方法論」です。例えば、安田さんは藤田先生の縦組マクロを upTeX # で動作させるのに数行直さなければなりませんでしたが(>>49165)、これで # もし相手が「将来の XeTeX」だったらどうだったでしょうか。 ここから私が導く結論は、 pTeX の互換性を最大限保存すること(\jis プリミティブの保存等)は upTeX の存在意義を保つために不可欠である ということです。 "CK" をサポートする際に、\bigfive プリミティブが必要かは、この観点で判断 がつくでしょう。CK は「新規参入」となるので、「Big5 で書かれた pTeX文書」 や「Big5 を処理する pTeX マクロ」は存在しません。従って、CK はフィルタで 扱えれば十分であり、\bigfive を新設したり、\jis を JIS X 0213 に対応させ たりすることは「必須」ではありません。その上に「維持可能性」を加味すると 必須でない変更は厭われることになるのでしょう。 以上が私の考えとなるのですが、また土村さんが私とは異なる「upTeX の存在 意義」を考えておられることも明らかだと思われます。それがどんなものである かに非常に興味を覚えます。ただ、「upTeX の存在意義」が何かを決めるのは 開発者である ttk さんであり、それに従って開発方針が決まるものだとも私は 考えます。
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